安全保障理事会について 3

第24条は、「国際連合の迅速且つ有効な行動を確保するために」、「国際の平和及び安全の維持に関する主要な責任」を安保理に負わせると定めています。


そのため安保理は、「紛争」または「国際的摩擦に導き又は紛争を発生させる虞のあるいかなる事態」についても、調査を行い・・・


「紛争又は事態の継続が国際の平和及び安全の維持を危くする虞があるかどうかを決定」(第34条)し、「調整の手続き又は方法を勧告」(第三6条)し、「解決条件を勧告」(第37条)することになっています。


・・・これがいわゆる紛争の平和的解決(第6章)に関して安保理が営む機能の内容(所管事項)です。


なお憲章では、「紛争」といったり、「事態」といったりしていますが、厳密な定義があるわけではありませんし、両者の間に明確な線が引かれているわけでもありません。


大ざっぱにいえば、「事態」という言葉はかなり広い意味で使われており、「紛争」はそのような「事態」から生まれる、より深刻な段階・状況を指すと理解しておけばいいでしょう。


いずれにしても、安保理が個々の状況を認定することになるのです。

安全保障理事会について 2

加盟国は「安全保障理事会がこの責任に基づく義務を果すに当って加盟国に代って行動することに同意する」(同)し、安保理の「決定を・・・受諾し且つ履行することに同意する」とはっきり定めています。


・・・つまり、安保理の理事国はいまは15力国ですが、その15力国が決めたことは、他の加盟国全体も従わなければならないということです。


このような包括的な任務と権限は、連盟規約にはなかったもので、国際機構の発展あるいは主権国家と国際機構との関係という観点からいいますと、画期的な内容を含んでいます。


・・・ただし、この規定が現実の国際関係の動きの中でどのような機能を営むかということは、全く別の観点からみる必要があります。


湾岸危機・戦争は、この問題を考える上で格好の材料を提供することになりました。


この点は、改めて取り上げることにしましょう。

安全保障理事会について

90年に起こった湾岸危機に際し、アメリカが湾岸に軍隊を急派したのは、この集団的自衛権に基づくものと説明されました(90年8月14日のブッシュ大統領発言)。


それでは国連は、そういう集団安全保障の考え方を根底において、平和と安全のために働くべき機関としてどのような制度を設けたのでしょうか。


私たちが取り上げる必要があるのは、安全保障理事会(安保理)、総会と事務総長です。


この順番にしたのは、国際の平和と安全に対して第一義的責任を負うのは安保理であるということ・・・


また、事務総長の役割は、その多くが現実の運用、慣行のなかで、次第に現在あるような形が出来上がってきた面が大きいという考慮に基づいています。


それでは、安保理から説明します。


まずは任務と権限について。


まず、「国際の平和及び安全の維持に関する主要な責任」は「安全保障理事会に負わせる」(第24条1項)ということです。

国連憲章について

国連憲章がなぜ、固有の自衛権について、わざわざ個別的なものと集団的なものとに分ける考え方を取り入れたのかについて知ろうとしますと、憲章制定時の経緯にまで戻っていかなければなりません。


しかしこれは省略します。


ここでは、憲章の考え方は、集団安全保障のメカニズムが動き出すまでの間、各国が自衛権を行使して自らを守ることを認めているだけではなく、集団的自衛権という考え方を持ち込むことにより・・・


安全保障上の利害が密接な国家同士が、他国からの攻撃に対して共同で対処する道を開いているということを理解しておいていただければ十分でしょう。


集団安全保障という考え方と比較した場合の集団的自衛権という考え方の特徴は、武力攻撃を仕掛けてきた国家に対して、攻撃を受けた国家およびこれを支持する国家が共同してこれに反撃するという点にあります。


論理の必然として、国連の安全保障メカニズムが働かない間は、反撃の権利は事実上制限されないわけです。


侵略国または被侵略国のいずれかが降伏するまで戦闘が行われる可能性もあるわけです。


・・・ここでの目的は、相手国を軍事的に敗北に追い込むことにあり、国際社会全体の平和と安全ということは第一義的目的にはなりません。

社会的市場経済の目標 5

経済学の理論の中に所得=余暇選好という考え方があります。


これは、所得を稼ぐために時間を使うか、あるいは余暇(この場合、余暇とは余った時間という意味でなく、所得にならないものに時間を使うことをいう)の時間に使うかという一種の時間選択論です。


・・・いうまでもなく、前者の所得選好の場合は、生産活動に時間を費やすことであり、後者の余暇選好の場合は、非生産活動すなわち消費に時間を使うことです。


人間の経済的豊かさとは、経済学の父アダム・スミスが、また現代経済学の第一人者であるワシリー・レオンチェフが認識する"消費は消費なり"という哲理の中にあるのであって・・・


生産はあくまでも消費の召し使いなのです。


主は消費であり、生産は客なのです。


目的は消費であり、生産は手段なのです。


戦後40年あまり、否、歴史はもっと遡って徳川時代初期になるかもしれないですが、日本人は、消費と生産の関係を主客転倒、あるいは目的と手段のはき違えをやってきたのです。


社会的市場経済の目標 4

わたしは、円高ドル安現象が急速に進み、日米の経済摩擦のきしみが本格的に音をたてはじめていた1986年の夏に、東京で教授と接する機会を持ちました。


その時に「ハーバードと比べてニューヨークの生活はいかがですか」というわたしの問いに、教授は


「東京もひどいらしいが、ニューヨークはモノが高くってひどいものだよ」


・・・と肩をすぼめたあと、言葉をつないで、


「私の禁欲的な世界観とはいささか違うのですが、消費は消費なのです。


食べ物やテレビと同じように、教育も消費であり、科学も消費なのです。


私は日本の方々にテレビを今の何倍も買いなさいといっているのではなく、生活の中で非常に大切だと思う住宅事情、教育の充実、そして労働時間の短縮をなさればいいと思います」


・・・と語って、消費のすすめをわたしに説いてくれました。


この中で「消費は消費なり」と教授がいう信念は、経済学の父アダム・スミスが「消費は、いっさいの生産の唯一の目標であり、目的であるという文脈と見事に呼応しています。


社会的市場経済の目標 3

社会民主党は、現実政策の第一歩として経済イデオロギーをここで克服するのです。


そして第二歩は、その7年後の1959年に、ボン郊外のバートロリゴーデスベルグで開かれた臨時党大会の中で採択された綱領が


「社会民主党は、労働者階級の政党から国民の政党になった」


・・・と高らかにうたいあげ、政治イデオロギーを克服したことでした。


そして10年後の政権獲得(1969年)につながっていくのです。


社会民主党は、一つのイデオロギーを別のイデオロギーで克服するのでなく、政治・経済を問わず現実の中からイデオロギーを克服し、基本法にある社会国家づくりを目指してきたのでした。


その現実とは、経済でいえば、消費生活であり、それを豊かにすることで経済イデオロギーを克服してきたのです。


現在、ニューヨーク市立大学で研究活動をしているある教授は、産業連関分析の創始をはじめとして、軍縮に関する経済分析など幅広い分野で輝かしい業績をあげています。


ノーベル経済学の受賞者であり、現代経済学の最高峰に位置する人です。


教授はニューヨークに来るまで、ハーバード大学のあるボストン郊外で長年生活していました。

社会的市場経済の目標 2

西ドイツの憲法にあたる基本法の第20条に「ドイツ連邦共和国は民主的かつ社会的連邦国家である」と明記され、西ドイツは自ら社会国家(社会主義ではない!)である規定するとともに、社会的弱者の保護と社会正義実現への努力を国家に義務づけています。


この弱者の保護という基本法の精神は、物価安定という経済政策を通して具現されているのです。


なぜ西ドイツが物価を経済課題の中で最優先するのかその理由は、実は、現実の経済生活だけからでなく、国の憲法である本法にその淵源があるのです。


そして西ドイツは、戦後民主的社会国家を創り上げるためにイデオロギーによってでなく、政策の中から戦術戦略を展開してきたのでした。


それは1982年まで政権を担当していた社会民主党(SPD)の戦後からの軌跡をみれば一目瞭然です。


社会民主党は、ちょうど日本の社会党にあたる政党でありますが、その社会民主党が基本法の制定(1949年)から3年後の1952年には、党の経済イデオロギーである「社会化」を捨て、国の経済運営には価格メカニズムを骨子とする市場経済原理を採用するのです。


・・・いわゆるドルトムント行動綱領です。

社会的市場経済の目標

西ドイツは、自国通貨であるマルクの安定を第一とし、それをもとに消費者に物価安定を最優先とする政策に戦後40年余、終始一貫徹底してきました。


西ドイツがかかげる社会的市場経済の、社会的とはイデオロギーとしての社会主義をいうのではないのです。


価格メカニズムを原理とする市場経済で起こる不公平、不均衡を社会全体あるいは国民的・消費的視点から除外するという意味での社会的なのです。


・・・ということはほとんど福祉的という意味と同義なのです。


物価の安定は、富める者にも、富まざる者にとっても共通の利益です。


・・・ということは、社会全体の利益につながるだけでなく、とりわけ、富まざる弱い者にとって、かりに所得が増えなくとも、また社会からリタイアした高齢者の年金が増額されなくとも、消費生活の基本条件が保証されているからです。


物価騰貴・・・


インフレーションは、富まざる弱い者にとって、最大の敵なのです。


インフレは、長年にわたって営々と蓄えた老人の蓄財を、一瞬にしてニ束三文にしてしまった歴史を、私たちは何度もみてきました。


その意味で、物価にスライドして年金額を増やすことが、福祉政策の充実と考える福祉はナンセンスなのであって、年金の絶対額の多寡を云々することよりも、物価安定という経済政策の方がすぐれて社会福祉的なのです。

驚くべき子供 4

どの企業家もその決定的な行動について語るときに触れているように、シンプロットも愛する母、怖い父、そして自分の手を必要としている農場を離れるにあたって、罪悪感と不安に悩まされました。


そして彼もその苦悩を成功への不屈の力に変えるという能力を発揮したのです。


門出の資金は近在の農家から〈発育不良〉の羊を集めることで手に入れました。


その羊というのは双子か3つ子で、母親が満足に乳のやれない余計もの、いずれ屠殺されるはずの子羊でした。


少年は40頭ほどを集めると、数か月をかけて農家に売り戻せるところまで飼育しました。


これで約140ドルを手にしました。


1922年当時の十代の若者にとってはかなりの金額です。


彼は〈レクセル車軸〉のついたおんぼろのT型トラックを買って修理すると、それを駆って町に出かけ、デルコのインヤード・ホテルの一室に住むことにしました(部屋代と食費で1日1ドルでした)。


そこで彼が目をつけたのは豚の屠殺でした。